WRCのドライバー勢もケン・ブロックに追悼メッセージ – RALLYPLUS.NET ラリープラス

WRCのドライバー勢もケン・ブロックに追悼メッセージ

©Naoki Kobayashi

WRCの公式サイトであるWRC.comは、1月2日にケン・ブロックが急逝したことを受け、彼の功績を振り返るとともにWRCドライバーからの追悼メッセージを公開した。

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55歳という若さで旅立ったブロックは、世界中の多くの人々が憧れる夢を実現させ、何百万もの人々にモータースポーツへの情熱を抱かせた。米国カリフォルニア州で育ったブロックは、スケートボードやダートバイクなどのエクストリームスポーツをこよなく愛した。美学とデザインへの興味から、当初は建築の道に進んだという。

ところが、ほどなくして建築の世界は自分には向いていないと思い、荷物をまとめてコロラドに向かい、スノーボーダーとして挑戦することを決めた。しかし、自分の才能に限界を感じスノーボードへの情熱をプロの仕事にするのは無理だと悟ったブロックは、再びカリフォルニアに戻る。それでもブロックは、自分の情熱を仕事にすることを決意し、デザイン学校に復帰。そこで勉強しているうちに、スケートボーダーのダニー・ウェイの弟であるデイモン・ウェイと出会う。ふたりはアドベンチャースポーツへの愛と芸術的なデザインを融合させ、コロラド州のスノーボードショップでニッチな服の販売を始める。

そして1994年にDCシューズが誕生。事業が順調に推移する一方で、ブロックは2005年、米国でスバルを駆ってラリーに参戦することになる。2007年には、WRCラリーメキシコでWRCにデビューと一気にスターダムへと駆け上がった。彼が愛用する「43」のナンバーは、「DC」のアルファベット順を数字にしたもの(Dが4番目、Cが3番目)だ。

ブロックはWRCでの存在感を高め、2010年にはフォードと契約。モンスター・ワールド・ラリー・チームのドライバーとなった。コ・ドライバーのアレックス・ゲルソミーノと組み、WRCには計25戦に参戦。マシンの中でも外でも、派手なスタイルで愛された。

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オィット・タナック
「ラリー界は大切な人を失った。ケンは先見の明があり、自分たちに多くにインスピレーションを与えてきた真のレジェンド。ケン、安らかにお眠りください」

ティエリー・ヌービル
「ラリー界の象徴が亡くなったと聞き、驚きと悲しみにくれている。情熱的なレーサーであり、自分たちに多くのインスピレーションを与えてくれた真のパイオニア。安らかにお眠りください。ご遺族、ご友人の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」

ヘイデン・パッドン
「ケン・ブロックが亡くなったという今日のニュースが信じられない。ラリー界のために多くのことを成し遂げてきた人が、あまりにも早く旅立ってしまった。イベントで一緒に活動できたことは、本当に喜びだった。ご家族がどれほどお辛いか、想像することができない。心よりお悔やみ申し上げます。安らかにお眠りください。でも、きみのことは決して忘れないよ!」

ダニ・ソルド
「モータースポーツ界にとって辛い1日となった。ご遺族、ご友人の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。ケン、いつも素晴らしいショーを見せてくれてありがとう。安らかにお眠りください」

オリバー・ソルベルグ
「自分のヒーローであり友人だった。自分に真のインスピレーションを与えてくれた人であり、あなたが与えてくれた機会と支援に一生感謝します。ご遺族のみなさまに心からの哀悼を捧げます」

ペター・ソルベルグ
「トップドライバーであり、素晴らしい友人であり、家族思いで世界の何百万にの人々に刺激を与えてくれた。本当に悲しい1日になった。ケンの素晴らしいご家族に心からの哀悼を捧げます」

セバスチャン・オジエ
「何て悲しいニュース。ケンは先見の明があり、とても情熱的でインスピレーションを与えてくれる人だった。モータースポーツと大きなショーを両立させる方法を、誰よりも知っていた人だった。自分の人生を精一杯生きていた彼の笑顔と笑う姿を、一生忘れることはないだろう。ご遺族、ご友人の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」

ガス・グリーンスミス
「この人がモータースポーツ界に残した衝撃は、後世まで響くことだろう。フーニングのパイオニアであり、先見の明があったケン・ブロックは、唯一無二の存在だった。ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」



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