偉大なるフライングフィン、ハンヌ・ミッコラ逝去 – RALLYPLUS.NET ラリープラス

偉大なるフライングフィン、ハンヌ・ミッコラ逝去

©AUDI

1983年のWRCチャンピオンで、フィンランドが輩出した数々の偉大なるラリーストのひとり、ハンヌ・ミッコラが2月26日に逝去した。享年78。

フォード・エスコートのシリーズをドライブして名を挙げたミッコラは、WRCの歴史の中でも4WDの先駆けとなったアウディ・クワトロでタイトルを獲得した。1000湖ラリー(フィンランド)では通算7回の勝利を挙げ、同じくフィンランド出身のマーカス・グロンホルムと並んで最多記録となっている。

1942年に誕生したミッコラは、ボルボ車を駆りながら母国のラリーでキャリアを積んだ。66年、ポホヨララリーで初勝利を飾ると、2年後にはフォード・エスコート・ツインカムで初めての1000湖ラリー勝利を挙げた。

70年にはガンナー・パームと組みフォード・エスコート1850GT Mk Iで参戦したロンドン‐メキシコ・ワールドラリーカップでの勝利はあまりにも有名。その2年後、このコンビでイースト・アフリカン・サファリラリーに参戦し、国外からのエントリーとしては初めて優勝をマークした。ミッコラはWRC初勝利を1974年の母国フィンランドで飾っている。

70年代中盤には様々なマニュファクチャラーのマシンをドライブしたが、WRCで知名度を上げたのはフォード時代。アーネ・ハーツと組んで1979年にはフォードのマニュファクチャラーズ選手権制覇に貢献したが、ドライバーズタイトルはわずか1ポイントで逃した。

アウディへの移籍でミッコラのキャリアは転機を迎える。クワトロをドライブして、81年、82年にそれぞれ2勝を挙げると、翌シーズンにはグループBのクワトロA2で4勝を挙げて待望のドライバーズタイトルを獲得した。

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ミッコラが最後のWRC勝利をマークしたのは、87年のサファリラリー(写真)となった。その後はマツダに移籍し323での活躍に貢献、スバルやトヨタなど日本車での参戦も多かったが、91年にWRCフル参戦から退いた。WRC参戦数は通算123戦となったが、2017年までに様々なイベントでゲスト参戦を続けた。



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