<WRC復帰記念>トヨタ不在時代を振り返る(2)トヨタの歴代優勝マシン – RALLYPLUS.NET ラリープラス

<WRC復帰記念>トヨタ不在時代を振り返る(2)トヨタの歴代優勝マシン

トヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)

©Naoki Kobayashi

あれよあれよという間に、WRCモンテカルロも終わってしまいました。

編集部たけぶぅはというと、決してブログ更新をおろそかにしていたわけではなく、「プレイドライブ 2017年3月号」と「ラリープラス モンテカルロ速報号」の誌面制作、そして、2月2日から始まる全日本ラリー選手権開幕戦 ラリーオブ嬬恋の準備に勤しんでおりました。

WRCモンテカルロは本当に劇的な展開でしたね! 何が起こるか分からないと言われるWRCですが、なかでも今年はみーんな新車で、移籍組も多く、不確定要素が多いラリーでしたからね。ラトバラの2位は本当に幸運ではありましたが、ラリーとはそういうもの。モンテカルロ速報号でじっくり検証もしておりますので、ぜひお楽しみに。

さて、今回はトヨタのラリーカーについて、です。

前回の記事でトヨタの国際ラリーでの活躍をご紹介しましたが、トヨタが意外に昔からラリーに挑戦していて、驚かれた方も多いかもしれません。そのなかでも、世界を制したトヨタのラリーカーたちを見ていきましょう。

ちなみに、今回ご紹介している写真は、ST205を除き、昨年末の「TOYOTA GAZOO Racing FESTIVAL」で撮影したもの。これらのマシンは、1月の「東京オートサロン2017」のTOYOTA GAZOO Racingブースにも展示されていましたし、お台場のメガウェブ内のヒストリーガレージでも入れ替えながら展示しているそうです。実物を見たいなら今がチャンスですよ。

サファリで築いた栄光 〜 トヨタ・セリカ・ツインカムターボ(TA64)

トヨタ・セリカ・ツインカムターボ

Naoki Kobayashi

トヨタがWRCで活躍した最初のマシンが、トヨタ・セリカ・ツインカムターボ(TA64)です。グループBという規定のなかで作られたマシンですが、このセリカはFR、つまり後輪駆動でした。

グループBというと、ランチアデルタS4やアウディ・クワトロ、プジョー205T16といった4WDマシンのイメージが強いですよね。当然4WDの方が2WDよりも効率的に路面にパワーを伝えられますし、両方が一緒に走ったら4WDの方が速いというのは今では当然のこと。ですが当時のグループBは、まだ“ちゃんと曲がる”4WDは少数の時代。アウディ・クワトロがWRCを席巻するまでは、FRがWRCの主流だったのです。ちょうどそんな4WDへの過渡期にTA64は生まれました。

セリカが主戦場としたのはサファリ。道といっても穴や水たまりもあり、どったんばったん走るようなコースは、走破するだけでもひと苦労。速さはもちろんですが、なによりも耐久性が求められました。そしてこの耐久性こそが、TA64の真骨頂と言われました。この辺りは、壊れにくく信頼性が高いという現在のトヨタのイメージとも共通していますね。

WRCでの戦績は、1983〜86年までの4年間で6勝と決して多くはないかもしれません。デビューは1983年の1000湖ラリー(フィンランド)で、ユハ・カンクネンとビヨルン・ワルデガルドがドライブして6位と12位。ライバルはアウディ・クワトロ、ランチア・ラリー037、フォード・エスコートRS2000、そして日産240RSなどでした。しかし、1戦空けて出場したデビュー2戦目となるWRCアイボリーコーストで、セリカは早くもWRC初勝利を遂げます。ライバルはもちろんアウディ。ハンヌ・ミッコラとの死闘をワルデガルドが制しました。

残る5勝もやはりアフリカ。84年と86年にワルデガルドが、85年にカンクネンがWRCサファリ3連覇を果たします。86年もワルデガルドの手によりコートジボアールで勝利しています。

イベントクルー
1983第11戦コートジボアールビヨルン・ワルデガルド/ハンス・トーゼリウス
1984第4戦サファリビヨルン・ワルデガルド/ハンス・トーゼリウス
1985第4戦サファリユハ・カンクネン/フレッド・ギャラハー
第11戦コートジボアールユハ・カンクネン/フレッド・ギャラハー
1986第4戦サファリビヨルン・ワルデガルド/フレッド・ギャラハー
第10戦コートジボアールビヨルン・ワルデガルド/フレッド・ギャラハー

日本メーカー初の金字塔 〜 トヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)

トヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)

Naoki Kobayashi

グループB時代が突然終わりを告げた1987年。WRCは市販車をベースとしたグループAへ移行することになります。そんななかで登場したのがこのトヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)です。現在のWRカーへと連なる2リッターターボ+4WDというパッケージングが生まれたのがこのグループAの時代でした。

デビューは1988年ですが、初勝利は翌89年のオーストラリア、カンクネンのドライブでした。そして、90年にまだ当時若手だったカルロス・サインツが加入。今はダカールラリーや、F1でのジュニアの方が有名でしょうか。この年4勝を挙げて、トヨタは初のWRCドライバーズチャンピオンを手にします。91年も5勝を挙げますが、惜しくもタイトルはなりませんでした。ですが、サインツといえばこのマシン、という方も多いでしょう。

イベントクルー
1989第10戦オーストラリアユハ・カンクネン/ユハ・ピロネン
1990第4戦サファリビヨルン・ワルデガルド/フレッド・ギャラハー
第6戦アクロポリスカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第7戦ニュージーランドカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第9戦1000湖カルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第13戦RACカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
1991第1戦モンテカルロカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第3戦ポルトガルカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第5戦コルシカカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第7戦ニュージーランドカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第8戦アルゼンチンカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第13戦カタルーニャアルミン・シュバルツ/アーネ・ハーツ
1992第2戦スウェディッシュマッツ・ヨンソン/ラーズ・バックマン

サインツ黄金時代 〜 トヨタ・セリカGT-FOUR(ST185)

トヨタ・セリカGT-FOUR(ST185)

Naoki Kobayashi

成功を収めたST165を受けて92年に登場したST185は、大幅な改良が加えられ、スタイリングは流線型へと変化。参戦当初はセッティングなどに苦しみますが、サインツが2度目のドライバーズタイトルを獲得。市販車では「カルロス・サインツ・エディション」として「GT-FOUR RC」という特別モデルが登場するなど、ラリーと市販車が密接につながっていました。今の自動車メーカーではなかなか実現できない販売方法ですよね。

サインツとともに戦ってきたセリカは、白+赤の組み合わせが基本でした。それはレプソルというパーソナルスポンサーをサインツが持っていたため。そして、トヨタをWRCのトップに押し上げたサインツの離脱と同時に、「WRCのセリカ」といえばこのカラー、というくらいのインパクトを与えたカストロールカラーをまとったというのも、不思議な話です。

デビュー2年目となる93年、ついにトヨタは日本メーカーとして初めて、WRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得、ドライバーズタイトルもカンクネンが獲得します。94年もディディエ・オリオールのドライブでダブルタイトルを手にしました。95年のサファリラリーで、日本人の藤本吉郎が総合優勝を果たしたのも、このST185でした。日本でもまだまだクーペのブームは続いており、4WDだけでなくFFも多く販売されました。

イベントクルー
1992第4戦サファリカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第7戦ニュージーランドカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第12戦カタルーニャカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第13戦RACカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
1993第1戦モンテカルロディディエ・オリオール/ベルナール・オチェッリ
第2戦スウェディッシュマッツ・ヨンソン/ラーズ・バックマン
第4戦サファリユハ・カンクネン/ユハ・ピロネン
第7戦アルゼンチンユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト
第9戦1000湖ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト
第10戦オーストラリアユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト
第13戦RACユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト
1994第2戦ポルトガルユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト
第3戦サファリイアン・ダンカン/デイビッド・ウィリアムソン
第4戦コルシカディディエ・オリオール/ベルナール・オチェッリ
第6戦アルゼンチンディディエ・オリオール/ベルナール・オチェッリ
第9戦サンレモディディエ・オリオール/ベルナール・オチェッリ

しばしの休息 〜 トヨタ・セリカGT-FOUR(ST205)

トヨタ・セリカGT-FOUR(ST205)

TOYOTA

ST165、ST185とWRCで一時代を築いたトヨタ。しかし、丸目の4灯が特徴的なフロントマスクを備えより大きくなったST205セリカは、結果として思うように活躍できませんでした。2年間のWRC参戦で、勝利は95年コルシカでのディディエ・オリオールによる1勝のみ。ですが、ST205はWRCにおけるセリカというシリーズの集大成であり、のちにカローラWRCへと受け継がれる電子デバイスなどの様々なパーツの熟成を進めたという点で、大きな意義のある1台でした。

余談ですが、ST205についてはアーケードゲームの「セガラリー」で知った方も多いかと思います。今年の3月に、WRCオフィシャルゲームの「WRC 6」がPlayStation 4で発売されますが、ゲームというのは子供たちに憧れとしてのレーシングカーやラリーカーを知ってもらうための格好のPRの場でもあるのでしょうね。かくいう私も遊び倒したひとり。学生時代にふたつ上の近所のお兄ちゃんと対戦しても一切勝てず、「うまくドリフトできているのになんで勝てないんだろう?」と、ドリフトが遅いという事実に気づかされたのがこのゲームでした。「WRC 6」のヤリスWRCテストカーも、そんなふうに子供たちの心に残っていくのかもしれませんね。

イベントクルー
1995第4戦コルシカディディエ・オリオール/デニス・ジロウデ

有言実行の成果 〜 トヨタ・カローラWRC

トヨタ・カローラWRC

Naoki Kobayashi

雌伏の2年の時を経て97年に登場したのが、欧州で販売されていた丸目のカローラをベースとした「カローラWRC」です。それまでのグループAに変わり、大幅な改造が許されたことでベース車両が2リッター+ターボである必要がなくなり、4WD化やワイド化が可能になったことで、多くのメーカーがWRCに参戦してきました。カローラもそのうちの1台でしたが、カローラWRCはST205で熟成されたパーツを備え、参戦当初から速さを発揮。デビューイヤーの98年は最終戦での悲劇によりチャンピオン獲得はなりませんでしたが、99年に見事にマニュファクチャラーズタイトルを獲得。そして当初の宣言どおり、トヨタはWRCを離れ、F1へと旅立って行きました。

今になって思い返すと、あらかじめF1挑戦を掲げて、しかもチャンピオンを獲得して去っていったトヨタの去り際のかっこよさみたいなものを、当時感じていた気がします。F1ではなかなか思うような成績が出せず、なんだか成績以上に不遇な扱いを受けてしまっていたような気がしますが、トヨタのWRCでの活躍を知るファンたちは、私も含めて、少なくともWRCに関しては「有言実行のメーカー」ということを確信しているんじゃないでしょうか。

ちなみに、このカローラは日本では販売されていませんでしたが、トヨタ・スプリンターカリブのロッソというワゴンのフロントマスクがほぼ同じだったのも有名な話です。

イベントクルー
1998第1戦モンテカルロカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
第5戦カタルーニャディディエ・オリオール/デニス・ジロウデ
第9戦ニュージーランドカルロス・サインツ/ルイス・モヤ
1999第11戦中国ディディエ・オリオール/デニス・ジロウデ

というわけで、今回もやたら長くなってしまいました(笑)。最新の話題もいいですが、青春時代に聴いた音楽と同様、最も入れ込んだ時代のWRCの思い出話は尽きません。そういう飲み会イベントとか開けたら、すごい楽しそうだなぁ。

そして、こうして振り返っていくと、いつの時代もトヨタは失敗を積み重ね、最後には必ず成功を収めてきたことがあらためて分かります。周りがなにをいっても最後は成功する。少なくともWRCに関しては、トヨタファンはそれを今でも確信しているはずです。

今回のWRC挑戦もきっと、様々な出来事が待ち構えているでしょう。しかし必ずや、再びWRCの頂点に立ってくれると思います。

で、この気まぐれブログ連載、あと1回だけ予定しています。最後は、トヨタがWRCを去ってからのトヨタ不在の間のWRCのお話。やっと当初のテーマのお話になります(笑)。よろしければ、もう少しだけお付き合いくださいませ。

参考文献
RALLY CARS vol.2 トヨタ・セリカ・ツインカムターボ(電子版)
http://www.as-books.jp/books/info.php?no=RLL20130910

RALLY & CLASSICS vol.1 グループAラリーのすべて(電子版)
http://www.as-books.jp/books/info.php?no=RLY20091218

RALLY & CLASSICS vol.2 よみがえるグループB(電子版)
http://www.as-books.jp/books/info.php?no=RLY20100802

RALLY & CLASSICS vol.3 2リッターターボWRカーの時代(電子版)
http://www.as-books.jp/books/info.php?no=RLY20110129

(続く)



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