【Martin’s Eye】WRCローンチインタビュー:テーム・スニネン – RALLYPLUS.NET ラリープラス

【Martin’s Eye】WRCローンチインタビュー:テーム・スニネン

©Red Bull

まさに絶好のタイミング! 24歳の若手フライングフィン、テーム・スニネンが2019年のWRCに、Mスポーツ・フォードのワークスドライバーとしてフル参戦に臨むチャンスをつかんだ。

年齢的にもWRカーでの経験の意味でも若いスニネンは、ここまでWRカーでのWRC参戦は13回。ポディウムは、昨年のポルトガルでの1回のみに留まっている。2019年のチームメイトとなるのは、30歳のエルフィン・エバンス。WRカーでここまで4シーズンを戦い、1勝を収めている。スニネンが育ったのはフィンランドの南部、ヘルシンキから見れば北部にあたるツースラ。ラリードライバーの出身地としてはあまり知られていない地域だが、世界チャンピオンのティモ・サロネンが拠点に近い。

「今年のプログラムは本当に大事件。いい結果を出さなくてはならない大チャンスだ。自分のモータースポーツとの関わりは、とても長い。6歳の時から18歳までレーシングカートに乗り、その後ラリークロスに移った。自分の走行チャンスは、スポンサーによるところが大きいんだ。カートの後はラリーに行きたかったけれど、カートからラリーに移るのは資金面での差が大きすぎると思った。自分は競技キャリアを積むうえで、翌年の予算を勝ち取るために常に結果を出さなくてはならないと感じながらいつも過ごしてきたんだ。ラリークロスに行ったのは、カートと同じようにコースを走るし、ほとんどがターマック、それにライバルと同時に競り合うところが似ているから。初めてラリーに出たのは2013年、19歳の時。フィンランド人にとって、ターマックからグラベルに移るのは珍しいと思われるかもしれないけど、近ごろではカートの存在はフィンランドで少し変わってきていると思う。最近のラリードライバーには、レーシングカート出身もいるからね」

ツースラという地域は「交響詩フィンランディア」の作曲者、シベリウスの出身地として最も知られているかもしれないが、2007年、ヨケラ・ハイスクールで9人の若い命が奪われた銃撃事件の場所でもある。
「あの時、自分は高校1年生だった。現場は自分の行っていた高校。でも、自分は幸い難を逃れることができた。軍の人がドアを開けて自分たちを囲んで、安全な場所に避難させてくれた。あの日のことは鮮明に思い出せるよ。あの場に何人いたとか、何時に学校に行ったかとか、すべて。事件の後の数週間は、人生に穴が空いたような気分だった。自分の人生に大きな影響を与えた事件だ。あれ以来、みんなの絆が深まった。僕らのクラスでは、お互いをリスペクトする気持ちが一層強まった。それはポジティブな経験だったとは言えない、辛い経験だった」

スニネンは長年、フィエスタをドライブしてきた。STから始まり、R2に移り、最近ではWRカー。
「フィエスタはどのクラスでも強い。とてもいいクルマ作りで、ドライビングを学びドライバーとして成長できるマシンだ。でも、WRC2では2年間、別のマシンをドライブした。オレカのチームではエリック・カミリとチームメイトでシトロエンDS3 R3をドライブし、その後シュコダ・ファビアのR5マシン。チームのスポンサーはトヨタだった。彼らは、自分たちのトレーニングに資金を投じてくれたが、彼らのマシンでラリーをしたことはなかったよ! 2015年と2016年、彼らはTMGでWRカーを開発していて、ドイツのチームで走らせる計画があったが、ギリギリになって変更になり、トミ・マキネンのところでフィンランドをベースにすることになった。TMGは今でもTGRの大きな役割を担っている。エンジンを開発しているんだからね」

そして2017年、スニネンはフィエスタに戻る。
「自分のマネージャーであるティモ・ヨウキは、70年代からマルコム・ウィルソンといい関係を築いているし、自分の経験を広げて成長するためにはMスポーツがいいと考えていた。今は、Mスポーツで走ることができて、自分はとてもハッピーだ。小さなファミリーにいるような感じがいい。修業の場としても、とてもいい場所だ。コ・ドライバーを組んでいたミッコ・マルックラは自分にとって最大のコーチのような存在だ。自分の国際格式でのラリー経験は、多くが彼と一緒に積んだものだし、彼は世界レベルでの経験が豊富だからね。一緒に活動していると、自分もたくさんのことを学べるし、速いラリードライバーになるためのコツも教えてもらったよ」

2019年、スニネンはコ・ドライバーを変更し、同じくフィンランド出身のマルコ・サルミネンを迎える。
「新しい人と組んで、新しい考え方を身に付けたり、マシンの中でよりポジティブなフィーリングをつかむ時期にきたと思った。マシンの中でハッピーなら、いいリザルトが出せると自分は考えている。何かを変えたかった。ミッコはペースノートを読むのはとてもうまかったが、とにかくコ・ドライバーを変えたいと思った。一緒に出た最後のイベントはラリーオーストラリアだったが、その時はオルタネーターが破損した。今年は、もっと信頼性を高めて、経験を積み、もっとテストをしなくてはならないと考えているし、自分にはそれができると信じている。自分のプランは、シーズンを終えて選手権6位以内につけて、いい形で契約に結びつけること。自分はWRカー勢では一番の若手だから、他のドライバーの方が経験は豊富だ。自分はステップバイステップで進んでいかなくてはならない」
(Martin Holmes)



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