<WRC復帰記念>トヨタ不在時代を振り返る(3)17年間の変遷【最終回】 – ページ 3 – RALLYPLUS.NET ラリープラス

<WRC復帰記念>トヨタ不在時代を振り返る(3)17年間の変遷【最終回】

©Naoki Kobayashi

ローブ×シトロエン絶対王政時代(2007年〜2010年)

Naoki Kobayashi

アメリカに端を発する世界的な不景気が拡大した2006年頃は、多くのメーカーがモータースポーツ活動の縮小を余儀なくされていました。三菱は1年休んで開発したランサーWRCを2004年に投入したものの、わずか2年で完全に撤退(グループN活動は継続)。一時栄華を誇ったプジョーや地道な活動を積み重ねてきたシュコダも、2006年を最後にWRCから去っていきました。

その一方で、WRカーは市販車のモデルチェンジもあってマシンを刷新していきます。フォードは2006年に(正確には2005年の最終戦オーストラリアから)3代目のフォーカスを投入。重量物の車両中央への集中化という手法は、その後のWRカーの基準にもなりました。シトロエンは2006年の1年間だけワークス活動を休止(クロノスレーシングとして参戦、ローブがチャンピオン獲得)してニューマシンを開発し、2007年にのちに名車と呼ばれることになるC4 WRCをデビューさせます。

そして、2008年には不振が続いていたスバルが満を持してハッチバックのインプレッサWRCを投入し、JWRCで活躍していたスズキがSX4 WRCでWRCに本格参戦を果たすなど、久々に日本メーカーに活気が戻りました。マニュファクチャラーも4社に増え、順風満帆であると誰もが思っていたでしょう。

Naoki Kobayashi

ところが、不況のあおりを受けて2008年末にスバルとスズキがWRC撤退を発表。ついに参戦メーカーはフォードとシトロエンの2社にまで減ってしまいます。熟成が進んだ2ℓターボのWRカーはすでに、500馬力とも600馬力とも言われたグループBマシンよりも、純粋なスピードでは速いマシンへと進化しており、新たなメーカーの参戦も容易ではなくなっていました。

FIAはそれを見越して、WRカーの規定を根本的に刷新し、電子制御を減らしてシンプルなマシン構成に変更することを検討していました。そして2011年から、1.6ℓターボの小型車をベースとする、コスト削減案を盛り込んだ新WRカー規定を実施することが決定しました。

この頃のドライバーはというと……もはやローブに敵なし、という状況でした。2007年から2010年までのウイナーは、ローブ、グロンホルム、ミッコ・ヒルボネン、ヤリ‐マティ・ラトバラ、セバスチャン・オジエの5人のみ。そのグロンホルムも2007年にWRCを去っており、ますますローブの独走が進んでしまうこととなりました。

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