FIAラリーディレクター、アンドリュー・ウィートリーもクレイグ・ブリーンを追悼 – RALLYPLUS.NET ラリープラス

FIAラリーディレクター、アンドリュー・ウィートリーもクレイグ・ブリーンを追悼

 

4月20日から首都ザグレブで開催されるWRC第4戦クロアチアラリー(ターマック)の開幕を前に、シリーズ関係者間ではヒョンデのクレイグ・ブリーンを追悼する動きが続いている。

ブリーンは、現地時間4月13日(木)正午過ぎにヒョンデのワークステストカーのステアリングを握っている時に致命的な怪我を負った。まだ33歳という若さで、2月のWRCラリースウェーデンで準優勝した後、ラリーの最高峰カテゴリーで成功を収めようとしていた矢先だった。

クロアチア当局は現時点で、アクシデントの状況や死因についての調査結果を発表していない。しかし、アクシデントの際、ブリーンが運転していたヒョンデi20Nラリー1ハイブリッドの車内に柱が突き刺さり、死亡したと見られている。コ・ドライバーを務めていたジェームス・フルトンに怪我はなかった。

ブリーンの死は、2012年に彼の元コ・ドライバーで親友のギャレス・ロバーツが亡くなった事故と類似している。ロバーツは、この年の6月、イタリアのシチリア島で開催されていたタルガ・フローリオ・ラリーでブリーンがドライブしていたプジョー207スーパー2000でクラッシュを喫した際、バリアが車体を貫通したことで命を落としている。当時22歳だったブリーンはその後、常に友人の死を背負い、インタビューでは折りに触れて亡くなった仲間について言及し、しばしば涙を流していた。

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現在FIAラリー部会のボスを務めるアンドリュー・ウィートリーは、ブリーンがMスポーツのWRCアカデミーでスキルを積み始めた時期に重要な役割を果たした。ブリーンは2011年に、ロバーツと一緒にアカデミーでタイトルを獲得している。

「クレイグはプロフェッショナルドライバーと、超がつくほど熱狂的なファンが一体となったような存在だった。勝利にこだわるプロから、ストーリーを共有しつつ楽しむことに切り替えることができた人だった」とウィートリーはSNSに投稿している。
「2009年にフィエスタ・スポーツ・トロフィーに挑戦を始めたばかりの若手から、自信に満ちた経験豊かなプロへ育っていく進化は、見ていて楽しいものでした。2011年、ビュイスウェルズの石造りの羊小屋で行われたWRCアカデミー初年度の最終イベントでは、タイトルの行方はボーナスステージのポイントで決まる戦況となり、タイトルと50万ユーロの賞金は、クレイグとイーゴン・カールとの最終ステージでの決戦となった。このイベントはクレイグとギャレスが優勝し、アイルランドの国中が泥だらけのウェールズで彼らを応援しているように感じられた」

「クレイグはWRC関係者の間でも人気者であり、尊敬を集めていた。彼のヒーローであるフランク・ミーガーのように、彼の遺産は続いていくことだろう」
(Graham Lister)



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