シュコダ・ファビアの歴代ラリーカーを振り返る:ポンタス・ティデマンド/ヤン・コペッキー – RALLYPLUS.NET ラリープラス

シュコダ・ファビアの歴代ラリーカーを振り返る:ポンタス・ティデマンド/ヤン・コペッキー

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2023年から、新型ラリー2車両のシュコダ・ファビアRSラリー2を投入するシュコダ・モータースポーツ。ファビアのラリーカーは、これが4代目となる。WRカーがトップカテゴリーを戦っただけでなく、カスタマー向けラリーカーとして、WRC2やFIA地域選手権、世界各国の国内選手権で活躍を続けたファビアに関わったドライバーたちが、歴代のモデルを振り返っている。


シュコダ・ファビアで世界タイトルを獲得した3人のうちのひとりが、ポンタス・ティデマンド。2017年にWRC2でシリーズを制している。

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Q:ポンタス、タイトルを獲得した2017年をどのように覚えているか。
ポンタス・ティデマンド(PT):
自分は、2015年にシュコダ・モータースポーツに加入した。最初から、たくさんのラリーやテストに参加させてくれたので、自分にとって素晴らしい環境だった。大きなチームだったし、周囲にはエサペッカ・ラッピやヤン・コペッキーなど経験豊富なドライバーがたくさんいた。自分は、最初はミスも多かったが、すぐに成長できている手応えを感じていた。ブレイクとなったのが2017年だ。すべてが驚くほどスムーズに進んだ。自分のキャリアにとって、間違いなくハイライトとなる年だ。

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Q:2015年は、ファビアS2000とファビアR5を組み合わせてシーズンを戦った。それぞれに対応するのは難しかったのでは。
PT:
あの年はたくさん乗っていたから、すぐに対応できていた。ファビアR5での初めての大きなラリーイベントは、2015年のWRCポルトガルだった。事前にたくさんテストはしていたが、テクニカル面でマイナートラブルを抱えてしまった。でも、次のテストでは細かな問題まで解決するチームの技術に感激した。それ以来、テクニカルトラブルは一切出なかった。チームがラリーにどれだけ真剣に取り組んでいるかを示す好例だ。このチームは、どんな些細なことであっても、気にしないなんてことはないんだ。シュコダ・モータースポーツに在籍していた頃のことはハッピーな思い出。今でも、家族のような存在だ。

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Q:ファビアR5が特に向いていたラリーや路面はあったか。
PT:
自分は北欧出身だから、スノーやグラベルが好きだね。でも、シュコダ・モータースポーツに入ってからは、ターマックで速いドライバーからいいレッスンを受けた。チームもターマックで走る機会をたくさん与えてくれたので、自分もたくさん学んだ。チェコでも、ターマックラリーにたくさん出たよ。このことは感謝している。ターマックでの走り方や、ターマックタイヤの使い方をしっかり学ぶことができた。

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ファビアのラリーカー、第3世代はファビアR5。ヤン・コペッキーは、その開発で大きな役割を果たしている。

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Q:ホンザ(コペッキーの愛称)、かなり早い段階からシュコダに在籍している、2013〜2014年のファビアR5の開発は、どれくらい大変だったか。
ヤン・コペッキー(JK):
チームは、ファビアS2000の開発ですでに豊富な経験を積んでいたので、マシンのベースは、最初からよかった。しかし、R5規定がS2000から大きく変わった。エンジンのパワーもトルクも増えたので、当初、自分がすごく興奮した。でも、ハンドリングは好きではなかった。S2000よりもグループNに近かった。でも、必死に取り組みを続け、徐々にR5の性格も“レーシー”になっていった。今では、とてもドライビングしやすくてすごく安定していると言える。自分は2008年からシュコダ・モータースポーツに在籍していて、数え切れないほどのラリーに出たが、テクニカルトラブルでリタイアしたのは、1度しかないよ。

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Q:将来、これだけの成功を収めるマシンを自分が作っているのだという自覚は、当時はあったか。
JK:
モータースポーツをシュコダのブランドに維持するためには、成功するマシンを作らなければならないことは、当初からみんなの間に明確に伝わっていた。トニ・ガルデマイスターは、以前はマシンの信頼性とスピードが足りなかったと言ったので、新たにシュコダ・モータースポーツのトップに就任したミカル・フラバネクはそれを変えたいと思っていた。だから、チームは完全に作り直して、それがうまくいった。販売台数にはもちろん驚いたが、当初から「これだけのクルマを作りたい」と思って、一生懸命に作ってきたんだ。

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