ヤルノ・サーリのWRCアークティックよもやま話 – RALLYPLUS.NET ラリープラス
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ヤルノ・サーリのWRCアークティックよもやま話

©Jarno Saari

●トヨタのチーム代表として母国ラリーを迎えたヤリ‐マティ・ラトバラは、自分自身がドライバーとしてアークティック・ラリーフィンランドのSSに登場できなかったことに関して、フィンランドのラリーファンに申し訳なく感じていたようだ。ラトバラは、サービスに観客を入れない判断は正しかったとしながらも、雪の積もった林道ではCOVID-19の感染リスクが観戦者に及ぶことは少ないのでは、とも語っている。

Jarno Saari

●フィンランドでは今冬、1〜3月のすべての国内ラリーが無観客で開催された。フィンランドのラリー界はこの後、雪が融けるまで2カ月のブレイクを挟み、道が完全に乾いてから5月の終わりにサマーシーズンとして再開する。
この時期、気温はマイナス20度まで下がるラップランド地方だが、WRCアークティック・ラリーフィンランド中の気温はマイナス5〜0度と上昇。ラリー直後の3月1日、月曜日には日差しが照りつけ、ロバニエミではプラス5度を記録した。ラリーが終わったと同時に雪や氷が解け始めたということだ!
ラリースウェーデンのキャンセルを受けて開催が決まったアークティック・ラリーフィンランドは、わずか2カ月でWRC初開催に持ち込んだ。ロバニエミはラリー開催の歴史が長く、運営面においては盤石だった。

●伝説のフライングフィン、マルク・アレンは、1978年にFIAカップ(Cup for Rally Drivers)のタイトルを獲得しているが、この年、ロバニエミを拠点とするアークティックラリーは、モンテカルロに続いてシリーズ第2戦として開催された。イベントはアリ・バタネン(フォード・エスコートRS1800)が制し、ヘンリ・トイボネン(クライスラー・アベンジャー)が2位、フィアット・アバルト131ラリーのアレンは3位だった。もし、アレンを「非公式の世界ラリー王者」と呼べるのだとすれば、1978年、ロバニエミではすでに「初の世界戦」を開催していたことになるのではないだろうか!

Jarno Saari
WRCが創設された1973年、ヘルシンキ生まれ。現在はタンペレ在住で、WRCフィンランドのテストイベントとして開催されるオートグリムラリーの運営に携わる。1994年に初めてメディアとしてラリーフィンランドを取材。1998年からは、ラリーフィンランドのオフィシャル取材チームとして活躍している。一方で、WRCのヨーロッパイベントは少なくとも年一度は取材しており、フィンランドの「Hanaa」誌でフィンランドラリー選手権のレポートを担当している。アークティックラリーには20回以上訪れているほか、WRCスウェーデンも同等の回数を取材。雪のラリー取材はお任せというフィンランド人メディア。

Jarno Saari

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