【WRC奮闘記特別編】インタビュー:オーラ・フローネ – RALLYPLUS.NET ラリープラス

【WRC奮闘記特別編】インタビュー:オーラ・フローネ

 

【WRC奮闘記特別編】インタビュー:オーラ・フローネ

僕がコ・ドライバーになったのは、
クルマを買うお金がなかったからだよ(笑)!
クルマのメカニカルな部分には小さい頃から興味があった。
バイクやカートに乗るのも好きだったしね。
4歳か5歳の頃、僕は子供用のクルマに乗って「シケイン!」とか言いながら走っていた。
もっと大人になってからは買うことはできたかもしれないが、
もうその時点ではドライバーとしてのレベルが追いつかなかった。

ノルウェー、そしてその後コ・ドライバーを務めたスウェーデンのイベントでは
主催者からペースノートを買うことができたんだ。
自分たちでペースノートを書くようになってからも
常にいろいろ改善しているから、まだ完成形にはほど遠いね。
様々なドライバーやコ・ドライバーからアイデアをもらったり、
アンドレアス(ミケルセン)とはいつも新しいアイデアを取り入れようとしている。
他のドライバーたちと飛行機で一緒になると、聞き耳を立てたりね(笑)。



コ・ドライバーには「正しいタイミングで正しい場所に」いることが求められる。
何かがうまく行かなかった時の場合に代替策を考えること、
ロードセクションで時間がある場所、あるいは急がなくてはならない場所を含めて
イベントに関する正しい知識を持っていること。
チームはいつもロードセクションで様々なセットアップの変更を求めるけれど、
2分しかなかったらできないからね。
だから常に準備を怠らない。
ストレスのレベルが上がらなければ、すべてがうまくいく。

僕は他のクルーより少しだけクレバーであることを目指している。
結局、3日間全力で走っても、数秒しか違わないわけだ。
コーナー、レギュレーション、様々な要素のなかで少しずつタイムを稼いでいく必要がある。
どうすればアンドレアスがもっと速く走ることができるか。
それを考えるのが一番面白いね。
朝起きたときに新しいアイデアが浮かぶと、すぐにアンドレアスにメッセージを送る。
クリエイティブであることが重要だ。
そしてミスター・オジエに勝つことができる日がきたら、それは本当に幸せな日だ。

2013年に僕はアンドレアスと組まなかったわけだが、関係は常にうまくいっていた。
ただ僕らは約2年間イギリスで一緒に過ごして、燃え尽きていたんだ。年齢差もあったしね。
2006年から2012年まで常に移動していたわけだが、2011年に移動日を数えたら、なんと286日も移動していた。
結婚しているカップルでもこれほどまでに一緒にはいないよ!
そしていつも一緒にいると、距離を置いた方がいい時期がやってくるものだ。
他のコ・ドライバーと組むといろいろなことが分かるしね。
僕もポンタス(・ティデマンド)と組むことができてよかった。
基礎的なことを思い出すことができたし、ラリーへの情熱を取り戻すこともできた。
だからアンドレアスとふたたび組むことになった時に、ビタミンとエネルギーを補充した感じだったよ。

これまでのキャリアで一番良かったのは、やはり2月のスウェーデンだったと思う。
あれがこれまでで一番ポジティブだった。
これまではセブに勝つことを目標にしてきたのに、あのようにセブを抑えることができたしね。
スノーバンクでスタックした時、ペースノートを叩きつけたのは、インカービデオにも映っていたよね。
あの時は様々な感情が入り交じっていた。やはり緊張と感情がピークに達していた。
だからあのような反応になったけれど、決して後悔はしていない。
負けることは仕方がないことだ。負けると次に勝つためにさらにクリエイティブになることができる。
これまで連勝した状況もあったが、そうすると創意工夫がなくなってしまうんだ。

アンドレアスが日本のファンのためにブログを書いているんだってね。
僕は日本に1回だけ行ったことがあるんだ。
僕は2003年のアジア・パシフィックラリー選手権に出場していたんだよ。
東京に行った時にクレジットカードが全然使えなくて本当に困ったんだ!
ATMでも全部日本語でまったく分からなかったからお金も下ろせなかった。
僕は払うって言っているのに! あんなに空腹になったことはないよ!
仕方なくマクドナルドに行ったんだけど、カードが使えなくて、
その困った様子を見て、アメリカ人のカップルがおごってくれてね。
なんとそれがマクドナルドジャパンの副社長だったんだ。
あの時ほどマクドナルドで食べることができてうれしかったことはなかった。
だから日本というと、それを思い出すね!
日本人はとてもやさしかった。僕はただ空腹だったんだよ(笑)

あとは地震だね! ノルウェーでは絶対に地震がないから……。
帯広にいた時のことだったけど、夜に地震だと分かって
ホテルのフロントに行ったけれど誰も騒いでいなかった。
翌日の新聞には大々的に取り上げられるだろうと思ったら
普通のことだって言うんだ。世の中旅をしてみるものだね!

Text/Keiko Ito
Photos/VOLKSWAGEN



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