RALLY CARS vol.20 TOYOTA CELICA GT-FOUR
1986年、グループB規定の突然の中止によって急遽表舞台に立つこととなったセリカGT-FOUR。しかしセリカを待っていたのは、いばらの道。速さは見せるが、トラブルがつきまとう。参戦初年度は6戦に出場して、表彰台はわずか1回。砂埃の彼方、デルタを追って歯噛みする日々─。セリカはいかにして帝王ランチアと比肩するまでに成長したのか。時代の転換期にみえたドラマを追う。
1986年、グループB規定の突然の中止によって急遽表舞台に立つこととなったセリカGT-FOUR。しかしセリカを待っていたのは、いばらの道。速さは見せるが、トラブルがつきまとう。参戦初年度は6戦に出場して、表彰台はわずか1回。砂埃の彼方、デルタを追って歯噛みする日々─。セリカはいかにして帝王ランチアと比肩するまでに成長したのか。時代の転換期にみえたドラマを追う。
1979年に開催されたジーロ・ディタリアでプロトタイプがデビューしたルノー5ターボ。フランス国内選手権のほかモンテカルロやツール・ド・コルスで存在感を示し、多くのプライベーターにも愛された。グループ4からグループBに移り変わる時代のなか、4WD化の波に呑まれてなお消えず、86年のグループB最終年まで強い輝きを放ち続けた。時代に衝撃を与えたそのデザインとコンセプトは現在の我々に何を語りかけてくるのだろうか。
2001年に導入されたスーパー1600規定にあわせ、スズキ/スズキスポーツが送り出したイグニスは、APRCを経て勇躍WRCの舞台へとその駒を進める。参戦3年目でJWRCチャンピオンマシンとして君臨し、その後も進化の手をゆるめなかった。参戦当初からの目標であるワールドラリーカーへの道のりをゆっくり、しかし着実に進んでいったスズキ。多くのプライベーターに愛されたイグニス/スイフトが世界に刻んだ歴史をたどる。
1997年から施行されたワールドラリーカー規定は本来、2WD車両しか持たないヨーロッパ車メーカーの参戦を促進するために導入されたものだった。その規定をフル活用して、トップカテゴリーへと挑んだチェコの自動車メーカー、シュコダ。5ドアハッチバックのオクタビアWRCはその大柄な車体でライバルたちとどう戦い現在に何を残したのか─。
ランチア・ラリー“037″の後継となるべく、開発の急がれた“038”、すなわちデルタS4はデビュー直後のRACとモンテカルロで2連勝を達成。その前途は洋々と拓けていた、はずでした。わずか1年強の活動期間ながら、残したドラマは数知れず。栄光と悲劇を纏って走り続け、数々の伝説とともに語り継がれるデルタS4。その目指したものとはなんだったか。30年以上が過ぎた今、その来た道を振り返ります。
名車と謳われたPA10バイオレットの後を継いで日産のラリーシーンを担った240RS。すべてがラリーカーとして生産され、海外のプライベーターにも愛された240RSは世間の評する不遇のラリーカーでは決してありませんでした。WRC勝利数はゼロ。最高位は1983年の2位1回。しかし鮮やかなトリコロールは、今なお多くのファンの胸に残り、輝きを放ち続けています。その真実の姿に迫ります。
1993年のニュージーランドで悲願の初勝利を達成したレガシィRSからバトンを引き継いだインプレッサ555は、“量産車”という縛りを逆手にとって、類い希なる戦闘力を発揮しました。グループAという規定のなかで、それを最大限に活かし、金字塔を打ち立てた名車の真実とは……。関係者のインタビューを通じて、当時のストーリーに別の角度から光を当てます。
1993年のニュージーランドで悲願の初勝利を達成したレガシィRSからバトンを引き継いだインプレッサ555は、“量産車”という縛りを逆手にとって、類い希なる戦闘力を発揮しました。グループAという規定のなかで、それを最大限に活かし、金字塔を打ち立てた名車の真実とは……。関係者のインタビューを通じて、当時のストーリーに別の角度から光を当てます。
WRC参戦は数えるほど。勝利数はゼロ。しかし大きなインパクトを残したプジョー306マキシは、今も多くのファンに愛されています。このマシンに携わった人物たちに話を聞き、その知られざるストーリーを振り返ります。
1986年、グループB規定の最盛期に登場したフォードRS200は、革新的なドライブトレインと理想的な重量配分を武器に、史上最速のラリーカーとなる“はず”でした。時代に翻弄され、歴史の狭間に消えたフォードRS200の真実の姿をお届けします。
グループB最後期にして最盛期の1986年、グループAクラスでデビューしたマツダ323 4WDは、のちに突如脚光を浴びることとなりました。4WD+ターボというパッケージは時代にぴたり合致し、グループA黎明期の日本車代表としてランチアなどのライバルとわたり合いました。
それまでの“ラリーカーの在り方”を一夜にして塗り替えたアウディ・クワトロ。先入観や常識にとらわれることなく、新たなる時代の扉を開き、4WD、ターボ、アンチラグシステム、ツインクラッチ…… アウディは次々と先進の技術を投入しながらも、最後までフロントエンジンで戦うことをやめませんでした。アウディの誇り、その志したものに迫ります。