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【ラリーアート】ラリーガイド ラリー北海道2009 「今年こそ、ラリー北海道を楽しもう!」

 

ラリーガイド ラリー北海道2009 「今年こそ、ラリー北海道を楽しもう!」

2009年7月10日(金)〜12日(日)、北海道の十勝圏内で行われる「ラリー北海道」がいよいよ迫ってきました。FIA世界ラリー選手権(WRC)とプロダクションカー世界選手権(PWRC)が併催される「ラリージャパン」と比べると、規模の小さな「ラリー北海道」ですが、このラリーの真の魅力を見逃していませんか? ラリーファンも唸るレベルの高い白熱したバトルは、ラリー北海道の最大の見所。

このページで、ラリー北海道の魅力と楽しみについて探ってみましょう。

■ラリー北海道とは?
ラリー北海道は、FIAアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)と全日本ラリー選手権との併催で行われる、本年、日本で唯一開催される国際格式ラリーです。ラリー北海道では、北海道・十勝圏内の中心都市である帯広市を拠点とし、コースはその周辺エリアの林道に設定されます(コースの設定は毎年変更。かつてラリージャパンで使用されたコースも多数)。

コースの特徴は、
・ わだちの出来やすい砂利質の路面であること
・ スタート順の有利/不利を受けやすく、また同コース再走時の路面の荒れ具合が勝負に影響すること
・ 道路の左右に木々が生い茂り、コース幅のかなり狭い箇所が多数あること
・ 一方で、雄大な北海道の大自然が楽しめるステージがあること
・ 基本的にはハイスピード、狭いコースを全開で走るチャレンジングな設定であること(昨年もアベレージ100km/hオーバーのSSが多数) などが挙げられます。
ラリーの拠点となるサービスパークは、帯広市街からやや南に位置する「北愛国交流広場」に置かれます。またサービスパークに隣接して特設コースが設けられ、スーパースペシャルステージが行われます(今年は、10日(金)のステージが観客に無料開放されます)。また、11日(土)の昼間サービスのみ、帯広市から北方(クルマでおよそ2時間)に位置する陸別オフロードサーキットが設定されました。この陸別オフロードサーキットではギャラリーステージが設定され、観戦のしやすさから毎年多くの観客が訪れるスポットです。ラリー北海道は毎年、上記の北愛国交流広場や陸別サーキットをはじめ、セレモニースタートやフィニッシュ、そして沿道などにのべ数万人ものファンが集まり、ラリーカーに大きな声援を送ります。

■ラリー北海道は、アジア・パシフィックラリー選手権(APRC)の1戦
ラリー北海道のタイトルになっているAPRCとは、FIA(国際自動車連盟)の定めるラリー選手権のうち、頂点であるWRC(PWRC)のひとつ下となる「地域選手権」にカテゴリーされます。

地域選手権は、世界4エリアで行われています。
アジア・オセアニア地域 :アジア・パシフィックラリー選手権(APRC)
ヨーロッパ地域 :ヨーロッパラリー選手権(ERC)
中東地域 :中東ラリー選手権(MERC)
アフリカ地域 :アフリカラリー選手権(ARC)

■APRCの特長・魅力は、ハイレベルのバトル
地域選手権では、コースを知り尽くした地元スペシャリスト達のハイレベルなバトルが魅力になっています。ラリー競技では、ドライバーのスピードセンスはもちろんながら、経験……コースの特性をいかに熟知しているか……は大変重要なファクターとなります。それは、世界広範囲で行われるWRCやPWRCよりも、むしろ地域選手権のほうが、その地域のラリーにおける経験やノウハウの深度において勝ります。APRCではここ数年、コディ・クロッカー選手と田口勝彦選手の2人のスペシャリストによる、密度の高いバトルが繰り広げられています。それは2人のドライビングスキルの高さはもちろんのこと、それを支えるチーム体制やマシンノウハウも世界トップレベルにあることも大きな要因です。
2人が世界トップレベルのバトルを繰り広げていることは、2007年のWRCラリージャパンにおいて、田口勝彦選手が、世界選手権勢を相手にグループN圧勝したことで、世界に証明されたといえるでしょう。また、ラリー北海道では、その他日本人トップレベルのラリーストが多数終結。また、併催の全日本ラリーでは、日本のコースを熟知したスペシャリストが数多く出場します。APRC勢と全日本ラリー勢では走行時間にタイムラグがあり、コースコンディションが大きく異なるため単純なタイム比較はできませんが、参考までにタイムを比べるのはラリー観戦(WEB等での速報などでもチェックできます)における大きな楽しみです。

■ラリー北海道の歴史を知ろう
日本有数の規模で開催される国際格式ラリーの「ラリー北海道」、その歴史はまだ10年にも満たしていません。日本におけるラリー競技は、自動車産業の発展と共に独自の発展を遂げてきましたが、世界でスタンダードフォーマットといえるラリーの様式(距離の長いスペシャルステージ主体のラリー)が日本でも取り入れられたのは、ごく最近のこと。三菱自動車をはじめ、日本自動車メーカーの多くがFIA世界ラリー選手権(WRC)に参戦、活躍してきたものの、こと母国においては車両を走らせる環境がありませんでした。ラリー関係者にとって、国際ラリーの開催はまさに悲願というものでした。そして、2000年代に入ると、国際仕様の国際格式ラリーを開催しようという気運が高まったのでした。

■ラリー北海道 初開催
2001年、本格的なグラベルでの国際格式ラリー「インターナショナル ラリー イン 北海道」は初開催されました。競技区間であるスペシャルステージを長く取るために広大な北海道が選ばれたことは、まさに必然ともいえることでしょう。APRCやWRCへの発展を目指し、多くのファンや関係者が夢を乗せたこの大会に、三菱自動車/ラリーアートは、WRCワークス体制でランサーエボリューション・グループA仕様を持って参戦。ドライバーは、当時WRCでも活躍を始めていた日本人エースの田口勝彦選手。それを支えるチームは、WRCワークスチーム……いわばサービスの“プロ集団”……が担当。さらにチーム監督には、WRCワークスチーム監督も務める、アンドリュー・コーワンが指揮を取るという夢のような体制でした。

「このラリーがAPRC、そしてWRCへとつながるよう、出来る限り協力したい。WRCを戦うチームの一端を見ていただければ」と、当時のラリーアート社長 北根幸道は語っています。そして、ワークスマシンである真紅のランサーエボリューション・グループA仕様は、初めてとなる日本のグラベルロードを誇らしく駆け抜けていったのでした。

■APRCへの昇格
前年の大会実績が世界に認められ、2002年、ラリー北海道はAPRCへと昇格。ラリー北海道は、早くもWRC開催を視野に入れたステップアップを果たしました。APRCの選手権がついたことにより、ラリーアートのエースドライバー・田口勝彦選手に加え、アジアやオセアニアから多数のトップドライバーが参戦、スバルからも新井敏弘選手などが出場し、ラリーは一気に華やかなムードへと変貌します。それに伴い、走りのレベルも国際レベルへと上昇。アジア勢vsオセアニア勢vs迎え撃つ日本勢での激しいバトルが展開されました。田口勝彦選手も前年同様、グループA仕様のランサーで総合優勝を狙いましたが、多くのライバルと予想以上の難コースに足元をすくわれてしまいました。
2003年、APRC開催の2年目。北海道の帯広を舞台にしたラリーは3回目を迎え、開催地域には徐々にラリー文化が根付いてきました。ラリー開催と共に帯広の町は活況を見せ、サービスパークや沿道には多くのファンが詰め掛けました。地元の活性に合わせるように、ラリー北海道は大会としての成熟の一途を辿ります。この発展には、大会を支える多くのスタッフやボランティア、さらに地元の方々の温かい支援が寄与したといえるでしょう。

■初めてのWRC
2004年、ラリー北海道は「ラリージャパン」と大会名を改め、WRC昇格を果たしました。初開催から4年で、大会関係者が夢見た日本でのWRC開催は、現実のものとなりました。また、APRCも併催され、ラリージャパンは、日本が世界に誇るラリーイベントへと昇華しました。世界各国の自動車メーカーの威信をかけたワークスチームと、選ばれしドライバーが操る最速のラリーマシン……ラリーファンにとっての憧憬と敬意の対象が、いよいよ日本初上陸となりました。しかし、残念なことに三菱WRCワークスチームは参戦の一時休止を発表、三菱ワークスカーのお披露目は翌年へと持ち越されたのでした。

ラリーの地元・帯広は、WRC開催を受けて例年にない活況に沸きました。日本各地からは多くのラリーファンが、一目WRCを見ようと帯広へ大挙押し寄せ、セレモニースタートが行われる目抜き通りには5万人を越える観客が集結。3日間の競技期間中、ギャラリーステージやサービスパークも大盛況、延べ21万人ものファンが感動と興奮を共有したのでした。

【ラリー北海道復活 APRC単独開催へ】
2005年、日本でのWRCとAPRCは、それぞれ別々の大会へと生まれ変わり、更なる発展を目指します。そして、2年ぶりに「ラリー北海道」の名前が復活、同名でAPRCと全日本ラリー選手権との併催として運営されることになりました(WRCは「ラリージャパン」の名称が使われます)。また、ラリー北海道は大会拠点となるサービスパークを、帯広市の北に位置する音更町へと移しました。ラリージャパンと比べて、どこか牧歌的な雰囲気も漂わせるラリー北海道。十勝圏内におけるラリー文化の成熟は、2つの素晴らしいイベントを共存させていくことになるのです。
またこの時期のAPRCは、アジア・オセアニア圏のみならず、欧州からもユッシ・ヴァリマキ選手等のトップドライバーがシートを求め、選手権のレベルが向上。その走りは、時にPWRCをしのぐものとなっていきます。
そして迎えた2005年ラリー北海道は、列強を抑えて田口勝彦選手が念願の母国優勝を果たしました。

2006年から、APRCは2人のトップドライバー対決の舞台となります。それは、日本を代表するラリードライバー 田口勝彦選手と、オーストラリアの雄 コディ・クロッカー選手との熾烈なチャンピオン争い。2006年ラリー北海道での対決は、クロッカー選手に軍配が上がりました。しかし、2人の走りは多くのファンを魅了し、大会そしてAPRCという選手権そのものの格式を高めていくことになるのです。

2007年のラリー北海道も、田口×クロッカーという対決の構図は変わりませんでした。帯広競馬場のセレモニースタートやコース・沿道には、もうラリーが習慣化したような……ラリーファンには羨ましい光景の……地元のファンで賑わい、2人の対決へ多くの声援を送りました。

■2008年 ラリー北海道プレイバック
昨年のラリー北海道は、ラリージャパンの札幌移転に伴い、その拠点を帯広の北愛国交流広場へと戻しました。サービスパーク脇の特設コースではスペシャルステージも行われ、観客にとっては観戦しやすいイベントへと生まれ変わります。ラリーは、帯広競馬場のセレモニースタートで開幕、ばんえい競馬や花火大会とのコラボレーションは、ラリー北海道の開幕を鮮やかに彩りました

DAY1、かろうじて曇りながら天候の悪化が懸念される状況で、ひとつ頭を出したのは田口勝彦選手でした。最大のライバル、クロッカー選手はタイヤチョイスのミスもあり、タイムが伸びず、田口選手にとっては理想の展開となりました。しかし午後、心配された天候が一気に崩れ、ラリーは荒れた展開へと様相が一変します。。しかも想像を絶する形で……。昼過ぎから降り出した雨は、午後最初のステージを迎える頃には豪雨へと変化しました。午前の走行でコースにできたわだちには激しい雨がたまり、それはみるみる川へと変貌したのです。スタート順の早いクロッカー選手や田口選手は、まるで川の水面を走っているかのように見えました。わだちにたまった雨水を掻き出しながら走るため、スピードはまったく伸びず、またハイドロプレーニング現象によりまともにまっすぐ走ることができない有様でした。
結局、いくつかのステージが悪天候のためキャンセルになったものの、この2人はコースの水掻き役を任されたために他の選手より大幅なタイムロスをし、順位を一気に落としました。田口選手はDAY1を終えて、トップと21秒差の3位。しかし、午前中の手ごたえは、確実に彼の手に残っていたのでした。DAY2、まるで昨日の出来事が嘘だったかのように天候は回復。そしてラリー北海道史上に残る名バトル、DAY1首位に立ったキャロッセチームの柳澤宏至選手と、21秒差で追いかける田口選手との白熱の追激戦が開始されたのです。
渾身のアタックで、前方との差を剥ぎ取っていく田口選手。しかし、柳澤選手もAPRC初優勝を目指して簡単には首位を譲りません。SSを終えるたびにじわりじわりと差が詰まっていく展開が続きます。午前のループを終え、田口選手は射程圏内の4.1秒差まで柳澤選手を追い詰めました。
午後のステージ、その2本目で田口選手のアタックが決まり、わずか0.1秒差ながらも柳澤選手を逆転。遂にAPRCトップに躍り出ます。ここから差を広げたい田口選手ですが、柳澤選手も必死のアタックを見せ、ふたりの差は思ったよりも広がらず、その差2.3秒で最終ステージに勝負が持ち越されました。北愛国サービスパークに隣接されたスーパースペシャルステージで、2人は持てる力でアタック。そして結果は……、何とステージ同タイム。2人の激しいバトルは2.3秒のまま、田口選手の優勝が決まりました。

日本人同士の手に汗握るバトルは、ラリー北海道の輝かしい記録の1ページに加えられたのでした。

■そして、2009年へ
いよいよ、今年のラリー北海道が始まります。今年はいったい、どんなバトルが見られるのか。APRCで2度目の王座獲得を目指し、クロッカー選手との対決に挑む田口勝彦選手。昨年のリベンジに燃える、柳澤宏至選手。また全日本ラリーでは、王座奪還を狙う奴田原文雄選手が、ポイントリーダーとして乗り込みます。ラリー北海道は、7月10日(金)、開幕。ラリーストたちの熱い走りに、ご期待下さい。

■「ラリー北海道 2009年の見所は?」

■各カテゴリーの見所は?

◆アジア・パシフィックラリー選手権(APRC)

まずは何といっても、王座獲得を狙う2人のドライバー。田口勝彦選手vsコディ・クロッカー選手の、4度目の北海道対決は必見といえます。

まずは、2009年、4年連続APRC王座獲得を狙うクロッカー選手。ドライビングミスが少なく、どんなラリーでも安定したスピードを見せるクロッカー選手は、今年のAPRCでも第2戦クイーンズランド(豪州)、第3戦ワンガレイ(ニュージーランド)を連勝し、勢いに乗っています。今年からスイッチした新型インプレッサの熟成も進んでおり、APRC優勝を目指すものにとっては、大きな壁となって立ちはだかるでしょう。

それを止めるのは、やはりこの男か。
「チームMRFタイヤ」田口勝彦選手。今年こそ自身とチームにタイトルをもたらすため、熟成の極みともいえるランサーエボリューションIXを駆ります。今年も地元勢有利といえる第2戦、第3戦を、クロッカー選手の2位にきっちりつけ、得意なアジアラウンドへと進めてきました。貪欲なスピードの探求者である田口選手、その世界に誇る速さは今だなお進化を続けています。さらに、年々増した安定感を武器に、田口選手は、打倒クロッカーを目指して母国へ乗り込みます。
また、田口選手のチームメイト、ガウラブ・ジル選手も成長著しいインド人ドライバー。走るたびに進化するスピードは、才能の表れか。クロッカー選手のチームメイトの女性ドライバー、エマ・ギルモア選手と共に、逆転優勝を狙います。ラリー北海道から登場するのは、国内のトップラリーチームである「クスコ・ワールドラリーチーム」。2009年よりニューマシン、ランサーエボリューションXを2台投入します。
柳澤宏至選手と炭山裕矢選手という2人の日本人ドライバーコンビが、どのような走りを見せるのか。また国内トップチューナーとしての開発力で、エボリューションXをどのように仕上げてくるか、期待が高まります。

その他、数多くのドライバーがラリー北海道にはスポット参戦してきます。
多くの海外ラリー出場経験を持つ、鎌田卓麻選手(CMSC道北)、増村淳選手や赤羽政幸選手(CMSC栃木)なども上位を虎視眈々と窺います。さらに、田口盛一郎選手は、田口勝彦選手の実父。親子対決にも注目です。

◆全日本ラリー選手権

JN4クラス(2001cc〜)での注目は、3年ぶりの王座奪還を目指す奴田原文雄選手の走り。熟成の進んだランサーエボリューションXで、現在2連勝中。ポイントリーダーとしてラリー北海道を迎えます。選手権を争うライバルのスバル・勝田選手は、今回APRCエントリーのため不在。奴田原選手としてはラリー北海道を確実に獲り、ポイント差を広げて後半戦につなげたいところです。
対するは、同じエボリューションXを駆る二人の石田選手……石田正史選手と石田雅之選手です。昨年の選手権2位、安定した速さを見せるベテラン石田正史選手は、2001年ラリー北海道の初代チャンピオンでもあります。エボリューションXにスイッチした今年、まだ優勝はありませんが、打倒ヌタハラの一番手となるでしょう。昨年のラリー北海道で、終盤怒涛の追い上げを見せて2位に入った石田雅之選手も、優勝を狙う一人です。特に2007年のラリー北海道では、優勝を掴みかけた最終SSで無念のリタイア。リベンジを目指して気合十分、北海道に乗り込んできます。

また、ラリー北海道やラリージャパンでもおなじみの、福永修選手(CMSC大阪)、岩下栄一選手、大嶋治夫選手、鎌田恭輔選手(CMSC道北)なども優勝を狙っています。

JN2クラス(1401〜1600cc)では、ミラージュ勢がまだまだ健在です。その中でも、チャンピオン獲得を目指す田中伸幸選手(CMSC札幌)に注目。得意のグラベルラリーで優勝を挙げ、後半戦をさらに盛り上げるか、ミラージュ使いの腕に期待がかかります。

JN1.5クラス(1401〜1500cc、2WD)は、ラリー活性化のために昨年新設されたクラス。登録年式は10年以内という比較的新しいマシンで争われるこのクラスは三菱コルト、トヨタ・ヴィッツ、スズキ・スイフトなどのマシンが参戦しています。昨年のラリー北海道でコルト初優勝を挙げた大井こずゑ選手(CMSC群馬)の2連覇なるか、それを阻止するのは、同じコルトの塩谷敏史選手か。小さなマシンの長い戦いが始まります。

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