【Martin’s Eye】もう一つのユバスキラ拠点のラリーチーム – RALLYPLUS.NET ラリープラス

【Martin’s Eye】もう一つのユバスキラ拠点のラリーチーム

©Martin Holmes Rallying

大御所WRCメディア、マーティン・ホームズが、長年の経験に基づく独自の視点で切り込むMartin’s Eye。今回は、トヨタのWRCチームと同じくフィンランドを拠点とする急成長のチームに注目する。


Martin Holmes Rallying

トヨタが、WRCチームの運営拠点をフィンランドのユバスキラ近郊にすると発表した時は、ちょっとした驚きだった。ロジスティック面での負担が大きいフィンランド中部を選ぶというのは、とても奇妙に思えた。MスポーツがWRCチームの拠点を英国の北西部に置くよりも、遥かに突飛な選択だ。しかし、その選択肢を取るのは、トミ・マキネンのチームだけではなくなってきた。最近では、同じくユバスキラを本拠地とするチーム、プリントスポーツ(Printsport)という変わった名前のチームが、国際ラリーの舞台で名を上げてきているのだ。マキネンのワークショップは、ユバスキラ空港の近く、町の北部にあるプーポラ。プリントスポーツは、ほぼ同じ距離を東に向かったリーブスツオレにある。今年のWRCフィンランドでパワーステージに指定されているルーヒマキのフィニッシュから、数kmのところだ。

チームのオーナー、イーロ・ライコネンに、チームがどのように成長してきたのか、そして何より、チーム名の由来について話を聞いた。

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ER:「チームが立ち上がったのは21年前。自分自身でラリーをやっており、少しずつ、パーツを頼まれ始め、サポートをするようになっていった。自分で参戦する時間の余裕がなくいなったので、スタッフを雇った。そうして、少しずつ大きくなっていったんだ。ラリーは、自分の趣味であり、仕事であり、人生そのもの。私の父は印刷業を営んでいたので、ラリー会社の名前としてプリントスポーツがいいんじゃないか、と思ったんだ。余裕がなくてギリギリのチームだったから、いつも働きっぱなしだった。みんなの絆が深かった。とても小さなチームのようにね。上下関係なんてなかった」

プリントスポーツが、少なくともフィンランドで知られるようになり始めたのは、2012年。ちょうど、エサペッカ・ラッピが急成長を遂げた時と合致する。

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ER:「エサペッカが自分でラリーを始めた時、いつも我々のメカニックを1人使っていた。我々は彼をサポートし、代わりに彼は、ラリーがない時にマシンを洗ったり、メカニックの分解作業を手伝ったりしてくれていた。メカニックたちとも、とてもいい関係を築いていたよ。彼は、マシンのどこがよくないのかをすぐに指摘してくれたし、自分でトラブルを直してしまうこともあった」

プリントスポーツの基本的な作業は、レギュラー参戦するラリードライバー向け。特にフィンランド選手権や、アークティック、WRCフィンランドといったビッグイベントに参戦するドライバーがカスタマーだ。

ER:「彼らのサービス、ロジスティック、スペアパーツ、ツール、その他すべてを取り扱う。基本的には、ドライバーはマシンを買うだけで、それ以外のことは我々が手配する。フィンランド国外に市場を広げる計画はしたことがないが、顧客のドライバーや彼らのチームが、海外イベントでのサポートも依頼をし始めた。フィンランドの工賃はとても高いのだが、遠征のコストはそれほど高くはないんだよね。
エリック・ベイビー率いるノルウェーのイーブン・マネジメントが、21歳のエサペッカ・ラッピを2012年のフィンランド選手権にフィエスタS2000で参戦するプロジェクトをオファーしてきたことで業務は拡大した。彼は、参戦した全てのラリーを勝っていたよ。会社ではエンジニアリングを供給し、メカニカルサポートが拡大していった。我々は、自分たちで持っているマシンはそれほど多くない。ワークショップにシュコダR5が7台あったと思うが、自分たちが所有しているのはそのうちの1台しかない」

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最近では、ポーランドのルーカス・ピエニアシェクのWRC2参戦に取り組んでいる。

ER:「彼に関しては、3年計画のプロジェクトを立てており、彼はいい成長を遂げている。スウェーデンの後は少し心配だったが、ポルトガルとコルシカはいいラリーだった。サルディニアでは少し背伸びをし過ぎたが、あのマシンを操れること、そして速さがあることを見せてくれた。ルーカスはまだ経験が少なく、もっと走行経験を積んでペースノートのトレーニングが必要だ。フィンランド、ノルウェーにもドライバーがいるし、エストニアのドライバーと付き合いがあったこともある。オンボードカメラで彼らのスタイルを評価することもあるけど、ポーランド語のペースノートは全く分からないんだよ!」

ライコネンとマキネンが直面していることの共通点について考えると、国際ラリーに参戦するチームを運営する人生は、チャレンジだらけに違いない。

ER:「唯一あるとすれば、距離だろうね。我々の場合、ヨーロッパのラリーでは、ラリーの開催地間でどこか便利なところにトラックとラリーマシンを置いておく。そうすれば、クルーと我々のメカニックは、フィンランドに戻らずに提携のワークショップでマシンのリビルト作業を行うことができる。イベント間の期間が長い時は、全部をフィンランドに戻すことができる。

マキネンとライコネンは、いろいろなところでお互いに助け合っている。

ER:「彼らに与える時もあれば、彼らに与えてもらう時もある。例えば、彼らはスバルのレッキ車や、そのパーツをサポートしてくれる。我々は、燃料やパーツを供給する。とてもいい関係だと思うよ」

もう少し前まで遡ると、ライコネンにはルーヒマキの近くでラリーを見ていたことに思い出があるのだという。

ER:「実は、いつも嫌いだったんだよね! 自分が観ているってことは、自分は走っていないってことだから。好きなことでもあり、イヤなことでもある。自分がイベントに出ていないということが、本当に腹立たしかったよ」

そしてヒーローは?

ER:「自分の理想は、ユハ・カンクネンかな。彼は自分に近いし、もちろん、ここに近いラウッカ出身でもあるしね。彼の弟とは友人だったけど、ユハばかり追いかけていた。彼は、最も偉大なフィンランドドライバーだ。本当に様々なマシンをドライブしてきたんだからね。古いマシン、難しいマシン、近代のマシン、そしていつでも速かった」

プリントスポーツを有名にしたドライバーと言えば、エサペッカ・ラッピの名前を挙げない訳にはいかないだろう。その他にはどんなドライバーがいるのだろうか。

ER:「どのドライバーも、一緒に仕事ができてラッキーな人ばかりだ。例えば、オーレ・クリスチャン・ベイビー、カール・クルーダ、しかし、自分たちがプロジェクトに関わっているドライバーはどれも、チームとの関係が深い。ドライバーが大きなサポートを得られれば、我々が支援しているチームの中で自分の存在感を感じるし、ドライバーがミスをしてもしなくても、彼の背中を押してあげることになる。これも仕事のうちだし、自分たちはいい仕事をしていると思うよ」
(Martin Holmes)



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